とある地方都市にある、自宅兼用の小さな整体院。
そこに、仲睦まじい兄妹が暮らしている。
両親を亡くしたことがきっかけで、薬剤師になるという夢を諦めた青年――“薬師寺 貴矢”。
そして、その妹である“薬師寺 ひなた”。
たった2人きりの家族は、それでも穏やかで幸せな日々を送っていた。
まだ学生である“ひなた”に苦労をさせたくないと、これまで必死の思いで頑張ってきた“貴矢”。
その努力が実を結び、今では『アロマ整体』を売りに若い女性からそれなりの人気を集めている。
……しかし、それもまだつい最近のこと。
両親が亡くなったばかりの頃は、若い兄妹だけでは生活費を稼ぐことすら困難だった。
それこそ、大切な妹に満足な食事を与えることさえできない日もあったのだ。
いつかまた、困窮した生活に戻ってしまうのではないか。
幸せな日々の陰で、“貴矢”はそんな怯えを抱かずにはいられなかった。
そんなある日の夜のこと。
“貴矢”の経営する整体院に、1人の美しい少女――“甘露 ルイ”が客としてやってくる。
興味深そうに“貴矢”の境遇を聞いた“ルイ”は、そこで1つの依頼をしてきた。
――私のために媚薬効果のあるローションを作ってくれないか? 報酬は弾もう――
……この出会いをきっかけに、“貴矢”は今まで知る必要のなかった世界に足を踏み入れることになる。
その場所の名は――愚者たちの楽園『エーリュシオン』。
金と、権力と、薄汚い欲望が渦巻くアンダーグラウンドの世界で、しかし“貴矢”は希望を見出した。
ここで媚薬ローションが売れれば、もう“ひなた”に苦しい思いをさせずに済むかもしれない。
静かな水面のように穏やかだった日常に生まれた、小さな波紋。
それがまさか、かつての友人“家達 薫”までもを巻き込む大きな渦になっていくとは……。
このときの“貴矢”は、予想だにしていないのだった。